強迫性障害を克服するよ

強迫性障害八年生です。認知行動療法、はじめました。

最悪だったころ

行動療法のつらさに耐えるため、強迫性障害が最悪だった時期のこと思い返して、かきます。

衝撃的な内容かもしれないので、苦手なかたは読まないでくださいね。










発症から二年ほど、
いくつか精神科を受診したり
いろんなセラピーをためしたりしたものの
ころがりおちるように症状が悪化してゆきました。

一日のほとんどを掃除に費やし、
仕事はできなくなり
食事をわすれて痩せ細り
アルコール消毒液やウェットティッシュなどの除菌グッズを山ほどつかい
大事なものも、汚れたと感じると、なきながら捨てていました。

除菌ハンドソープで髪やからだをあらい、漂白剤をいれたお風呂にはいりました。
大好きな祖父母がたまらなく汚く感じ、ちかづけず、
わたしを心配してくれる 手紙やおこづかいも、消毒しなくては触れませんでした。ほんとうに苦しくて、死んでしまいたいとばかり考えていました。


どうにもならなくなったとき、半ばだまされて、精神病院に入れられました

雪の降る夜でした。

うすぐらくて、奇声を発する患者さんたちのいる
汚くて臭いにおいの隔離病棟におどろき、
錯乱状態になったわたしは、暴れて、生まれてはじめてひとに噛みついたりひっかいたりしました。
こわくてこわくて、かなしくて、目の前が真っ赤になりました。

危険な患者だとおもわれたのでしょう、
手足を鍵つきのベルトで拘束されました。
パニックをおこしただけなのに、
話をきいてほしいのに。
殺してくれたほうが、ずっといい。

そのときは、二種類の薬を一日に12錠飲んでいました。
あたまが朦朧として、一日のほとんどを眠ってすごしました。
おきているときは、となりの部屋から聞こえてくる患者さんのわめき声をききながら、
たかい天窓につもる雪をみていました。

はみがきも、食事も、看護婦さんにしてもらい
トイレも行かせてもらえず、おむつをはかされていました。

なさけなくて、絶望しかありませんでしたが、
もともと暴れる性質でないのがわかってもらえ
次の日には拘束が足だけになり、
3日目には、閉鎖病棟から一般病棟にうつらせてもらえました。